内之浦森林組合
肝付町の魅力
写真提供:Adobe Stock
肝付町の魅力をご紹介!
到達難易度★★★★☆スポット!?
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轟の滝
高山エリアの滝。肝属川の支流の一つ・荒瀬川にある、緑に囲まれた3段の滝。
この滝がある波見(はみ)地区は妖怪「一反木綿」の故郷として知られています。地元では「遅くまで遊んでいると一反木綿に襲われる」などと言って子供をしつけていました。
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海蔵の砲台跡
内之浦エリアの戦跡。
ここには二連式のトーチカ(機関銃座)の跡があります。
太平洋戦争末期、本土での決戦に備え、この砲台が作られました。
景行天皇ゆかりの地めぐり
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高屋神社
景行天皇が即位して12年たった頃(西暦82年)、南九州に居住していたとせれる熊襲を征伐するため天皇自らこの地を訪れます。 このときに国見山上陵(国見山)からヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)を勧請し、高屋神社を創建したとされています。 景行天皇は高屋神社のすぐ横にある天子山の高屋宮に6年間滞在しました。 詳しい記録は2度の火災で焼失しましたが、神社はその都度、肝付氏や島津氏によって再建されました。
天子山
景行天皇が即位して12年たった頃(西暦82年)、南九州に居住していたとされる熊襲を征伐するため天皇自らこの地を訪れます。その際、内之浦の川原瀬(こらぜ)に海路から上陸し、小田に1泊し、叶岳に登って一帯を見渡し、ここに滞在することを決めました。住まいは天子山の高屋宮とし、6年間滞在したとされています。
小田には、景行天皇が忘れた杖が根づいたとされる小田の楠が、叶岳には景行天皇をまつる叶嶽神社があります。また滞在中、天子山のすぐ横に高屋神社を創建しました。
現在の天子山に建物はなく、跡しかありません。
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小田の楠
内之浦エリアにある大木。根本まわり15.5メートル、高さ25メートル。 実際にはさらに大きかったのですが、過去の大水害の際に根元が埋没してしまいました。
この楠には第12代景行天皇にまつわる言い伝えがあります。西暦81年頃、景行天皇が熊襲親征のため小田の宿に滞在した際に忘れた杖が根付いて大楠になったそうです。
宇宙へのトビラを開いた地
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JAXA内之浦宇宙空間観測所
JAXA内之浦宇宙空間観測所は、1962(昭和37)年に東京大学生産技術研究所の付属施設として設置されました。 「日本の宇宙開発の父」糸川英夫博士のアイデアで山を切り開いて建設された、世界でも珍しいロケット発射場です。 地元地域との交流が深く、いつしか「世界で一番、地域から愛されるロケット発射場」と称されるようになりました。
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関連リンク
JAXA https://www.jaxa.jp/ きもつき宇宙協議会 http://space-kimotsuki.jp/
成就と癒しのパワースポット
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四十九所神社
高山エリアの神社。肝付氏の祖である伴兼行が国から官吏としてこの地に派遣された際、伊勢神宮から分霊を受けて984年(永観2年)に創建したとされています。四十九という名は、ここに合祀する祭神の総数(天神七代、地神五代ほかの神々)が計49柱であることに由来するものです。
この神社では毎年10月第3日曜日に「流鏑馬(県指定文化財)」が行われます。およそ900年近い伝統が受け継がれている伝統行事です。射手は毎年、町内の中学2年生から選出され、長く厳しい稽古と数々の儀式を経てその日を迎えます。2021年5月、拝殿が再建され真新しくなりました。
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叶えの鐘
内之浦湾を一望できる、ひとやすみスポット。天気がよければ、海のかなたに都井岬が、山の向こうにJAXA内之浦宇宙空間観測所のパラボラアンテナが見えるかも。景色を眺めながら散策したり、「叶えの鐘」を鳴らしてみたり。「宇宙のまち」を感じることもでき、宇宙・ロケット好きにうれしいスポットです。
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辺塚海岸
これぞ、秘境の浜。岸良エリアの船間(ふなま)から国道448号を離れ、県道74号線を海沿いに南下した場所に位置する辺塚(へつか)集落。そこには息をのむほどの美しい海岸があります。
白い砂、青い空。深いコバルトブルーや鮮やかなエメラルドグリーンに輝く美しい海。人の手が入っていない広い砂浜で、日本でもほかに類をみないのではないでしょうか。
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三岳縦走
肝付町中央部を縦断する山脈・国見山系。その代表的な山が国見山(くにみやま)・黒尊岳(くろそんだけ)・甫与志岳(ほよしだけ)です。この3つの山を縦走するのが「三岳縦走(みたけじゅうそう)」です。
いずれも900メートル級の山々で、それぞれの山頂からは開聞岳や、天気が良ければ種子島も望むことができます。また、黒尊岳と甫与志岳の間にはアケボノツツジが群生しており、トレッキングコースとして登山者に人気です。
古墳の面影を探す道
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塚崎古墳群
高山エリアの古墳群。前方後円墳が5基、円墳が54基の古墳が点在しています。前方後円墳が存在する古墳としては日本最南端。1945年(昭和20年)に国の文化財に指定されました。
一番大きい第51号古墳(花牟礼古墳)は長さ約52メートル、高さ約8メートルの前方後円墳です。この地域からは弥生時代の住居跡も発見されており、弥生時代に相当発展し、古墳時代になってから急速に組織化された集団の地帯であったと思われます。
また、第1号墳には楠の大木が根を下ろしており、塚崎の大楠と呼ばれています。塚崎古墳群から出土した遺跡などは肝付町立歴史民俗資料館に展示されています。
歴史を物語る建築物
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二階堂家住宅
高山エリアの文化財。あまりにも有名な言葉「趣味は田中角栄」を残した政治家、故二階堂進氏の生家。江戸時代の郷士の住居として、1975年(昭和50年)国の重要文化財に指定されました。
はっきりとした建築年代は不明ですが、1810年(文化7年)頃の建築といわれています。「おもて」の棟と「なかえ」の棟が直交した、雁行型の寄棟造の二棟造が特長です。茅葺の薩摩藩の武家屋敷で現存するものは、他に2例しかありません。
もともと鎌倉幕府の武家であった二階堂家は、13世紀に薩摩警護のため中央より派遣されました。その後、島津藩の命によりこの地を統治してきた役人の末裔です。
個人の所有物であるため、維持管理の費用として見学料を頂いております。2016年7月にリニューアルしました。
写真、文章引用元:肝付観光協会